東日本大震災ボランティア派遣に参加して(in気仙沼)
宮城県気仙沼より東京都を通して福祉避難所のボランティアの依頼がありました。
全老健東京都支部より第5陣として4月26日~5月1日まで、気仙沼の特別養護老人ホーム「春圃苑」に行ってきました。
第1日目(4月26日)
7:40 男性4名、女性6名の計10名のチームで都庁を出発。
被災地までの高速道路は、トラックや自衛隊の車両が多く、現地に近づくにつれ路面の歪みが多く感じられた。
15:00 被災地のケーウェーブ(気仙沼市立体育館)より施設の迎えの車で「春圃苑」まで移動。
津波の被害に合った場所を通過。改めて被害の大きさ凄まじさを実感。
16:00 「春圃苑」着。宿泊場所は農園作業所の集会所。女性9名で6日間を過ごすこととなる。
苑の方から現況報告と活動についての説明、電気・ガスは復旧しているが水は給水を受けているとのこと。東京都の先発隊より申し送りがあり、シフトが作成され渡された。
第2日目(4月27日)
6:30 朝食。水が出ないため、使い捨て食器にご飯とおかずが盛ってあり、後は薄い味噌汁。
7:00 早番の業務開始。利用者の名前も、状況も解らず業務に入ることに大きな不安があった。何をするにも職員の方に聞きながらの活動となる。数日前よりノロウィルスが発生したため、感染予防対策がとられていた。
食事介助に始まり、洗濯の手伝い、掃除、床・ベッド柵・手すりの消毒を行う。午後は利用者の方との外気浴に付き添う。苑の裏手は芝生の庭が広がり、崖の下は松林と砂浜が広がる海水浴場だったとのこと。現在は崖の下まで海になってしまっていた。
16:00 活動終了し、宿舎に戻る。全て使い捨て食器での食事であった。
トイレに行く度に水を汲む必要があった。紙類も流せず、横のゴミ箱に集めて捨てる。手洗いの水も限られていて、アルコールティッシュを利用していた。
第3日目(4月28日)
夜勤明けの人が戻ってから、苑の近くを歩いてみた。津波の被害に合った家や、畑、倒れた電柱などが目に入った。
19:00 夜勤の業務開始。職員の方のサポートなので主に見守り等の仕事となる。夜間のトイレの付き添い、居室の見回り等行いながら朝を迎える。
4:45 崖の向こうからの美しい日の出に感動した。
7:00 夜勤業務終了後、他のボランティア数名と気仙沼の被害の大きかった場所に行った。街だった場所には何も無くなり、水に浸かっていた。以前に街があったとは思えなかった。
施設の裏手(崖の下)にも行ってみた。大きな松ノ木が根だけ残して無くなっていた。施設の2メートル位下まで津波が来たそうだ。職員は利用者と共に、施設前の一段高くなった道路までベッドごと(車椅子に移す時間がなかったので)非難したとの話を聞いた。雪の降る中、ブルーシートを被って過ごしたそうだ。
20:00 水が出ないため、入浴できず、ペットボトルの水を沸かしシャンプーをした。体はウェットティッシュで拭く程度。改めて水の大切さを感じた。支援物資は多く、カップ麺、クッキー、スープ、菓子パン、マスク、ミネラルウォーター等豊富にあり、生活には困らなかった。(水が出ないこと以外)
昼夜を問わず、余震が度々あった。朝晩は冷え込むが、昼間は東京と変わらないくらいの気温。
群馬県からのボランティアさんとの情報交換もでき、夜は話がはずんだ。
第5日目(4月30日)
7:00 早番業務開始。食事介助から始まる。5日目ともなると利用者の方の顔と名前もわかるようになり、活動はスムーズとなる。排泄介助、居室の清掃、洗濯に追われ、あっという間に昼食となる。活動最終日のため施設の掃除をボランティア全員で協力して行った。
14:00 群馬県のボランティアさんが帰るため、利用者と一緒のお別れ会が開かれた。短い間だったが、利用者の方との別れが辛かった。群馬隊の人を見送り、業務に戻る。
16:00 職員の方たちとの別れを惜しみつつ、宿舎に戻る。宿舎の掃除をし、次のボランティアの人たちに引継ぎを行い、任務終了となる。![]()
第6日目(5月1日)
6:30 「春圃苑」を出発、気仙沼保健福祉事務所まで施設の車で送ってもらった。
8:00 東京都からの迎えのバスに乗り換え帰路についた。
第5陣全員元気で帰って来ました。とても貴重な経験をさせていただきました。ボランティア参加の機会を下さった皆様に感謝致します。
-東京都 介護老人保健施設 菜の花よりボランティアに参加して
ケアを支える人々とは?
自ら療養をする人々の自立を支え、心と身体と生活が健やかであるよう支援する人々のこと。
多職種協働とは?
様々な職種の人々が、連携・協力して、暮らしの場でのケアを行うための理念とインフラを包括した概念のこと。
